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太鼓探考:丸覚えのススメ [太鼓]

落語家立川志の輔さんと和尚さんの対談本から
(私なりの要約ですが)
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落語を覚えるのに意味を考えていては 覚えが悪い

例えば 誰もが知っている「寿限無(じゅげむ)」
親バカが和尚に頼んで息子に付けた長ったらしい名前を読むのに 
意味を考えてはいけない(=自我を入れない)
とにかく音として丸覚えして口に出すことを繰り返す

そうして頭に入った音を 繰り返し口に出していくうちに
自分なりの解釈に気がついたり
自分なりの言葉がふっとこぼれ出るようになる
自我を消したはずが 自我が出てくる
その辺に面白さがある


お経も
同じく 音で丸覚えしたことを唱える
その意味は勉強し理解するが 覚えるという行為の最中 意味はいらない
覚えたまま くり返し唱え続ける 
その時の境地は「無我」
唱えれば唱えるほど 「無我」
だからこそ 別の力が言葉に宿って 有難味が出る
そのへん(やればやるほど自我が出てこない)は落語と少し違うかもしれないが
入り口はおんなじ
+++++++++++++++


太鼓然り。

身体に入れるのに ウンチクや理屈はいらない
とにかく真似する くりかえしくりかえし打つ
理論は後から(別)でいい
自分の身体が覚えたことを消化して 自分なりの動きになったり
そこに意味を持たせたりするのは もっとその先


打ち込んで「入っている」プレイヤーは魅力的
「やっている感」だけの自己陶酔とは 紙一重だが

その人に何かが降ってきているように見えるのは プレイヤーが無我の時
でも 端から見ると 一番「その人らしい」時かもしれない
それを 太鼓打ちの個性というのなら 納得だ

タグ:太鼓探考
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